MENU

    松田元太はサッカーユースだった?チームやポジション・実力は?

    本ページにはプロモーションが含まれています。

    TravisJapanのメンバーである松田元太さんといえば、学生の頃はサッカー少年だったそうです。

    松田元太さんはサッカーのレベルが高かったようで、サッカーユースチームに所属していたとの噂もあります。

    どのチームだったんだろう?

    ポジションとか実力も気になるよね!

    そこでこの記事では、松田元太さんはサッカーユースだったのか、どんなチームに所属していて、ポジションはどこだったのか、実力はどのくらいだったのかなどまとめています。

    • 松田元太はサッカーユースだった?
    • 松田元太のサッカーのチーム・ポジション・実力
    • 松田元太がサッカーを始めた年齢や理由、諦めた理由

    ぜひ最後までお読みください!

    目次

    松田元太はサッカーユースだった?

    松田元太さんはサッカーのユースチームに所属していたとの噂がありましたが、それは事実ではないそうです!

    松田元太さん自身がインタビューにてサッカーユースの噂を否定しています。

    あ、ただ「松田元太はサッカーでユースチームに所属」という情報が一部で出てますけど、それは誤りです。ユースだったことはないです。

    https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00581/00099

    松田元太さんは小学生の頃の夢は「サッカー選手になること」だったそうで、運動神経の良さからもチームのキャプテンに任命されていました。

    海外での活動も考えていたくらいの実力者であったため、プロを目指して頑張ってきたそうです。

    かなりレベルの高い選手だったから、ユースにいたと思われても不思議じゃないね!

    松田元太のサッカーのチームは?

    松田元太さんが所属していたサッカーのチームを調査してみましたが、詳しいチーム名までは発表されていませんでした。

    しかし、調査を続けてみたところ、松伏FCスポーツ少年団というチームが松田元太さんの出身チームではないかと思われます。

    なんでそのチームが出てくるんだろう?

    松田元太さんの出身は埼玉県北葛飾郡松伏町と言われていて、松伏町にあるサッカーチームといえば「松伏FCスポーツ少年団」が見つかりました。

    「松伏FCスポーツ少年団」のスローガンは「夢は空高く努力は足元」と謳っています。

    そして、松田元太さんの大事にしている言葉も「夢は空高く努力は足元」でした。

    Travis Japanのメンバー7人がそろって出席したのは『カゴメ野菜飲料アンバサダー就任発表会』。商品メッセージにちなんで、“あざやかに、生きる。”ために大事にしている言葉について聞かれた松田さんは「夢は空高く努力は足元に」と回答。この言葉は、松田さんが小学生の頃に習っていたサッカーのコーチからもらった言葉だといいます。

    https://news.ntv.co.jp/category/culture/a426c4f89bf84a2bb6b4e4d186575209

    そのため、松田元太さんから公表はされていないものの、もしかしたら所属していたチームは「松伏FCスポーツ少年団」なのかもしれませんね。

    松田元太のサッカーのポジションは?

    松田元太さんのサッカーのポジションはMF(ミッドフィールダー)だったそうです。

    当時FCバルセロナにいたシャビ選手やイニエスタ選手のプレーをお手本に、自分の中に取り込んでいたとのことでした。

    松田元太さんは小学校4年生の頃にはチームのキャプテンをしていたそうです。

    上の学年の人たちもいたかとは思いますが、それでもキャプテンに選出されているのはすごいことですよね!

    松田元太のサッカーの実力は?

    松田元太さんのサッカーの実力は、埼玉県のU-12の選抜メンバーに選ばれるほどでした。

    また、上の項目でも紹介しているように小学校4年生の時にはチームのキャプテンにも任命されるくらいであったため、相当な実力の持ち主であると思われます。

    松田元太さんの出身地である埼玉県はサッカーのプロクラブの下部組織もあるということで、U-12の選抜メンバーに選ばれることは相当な実力がないと難しいことですよね。

    松田元太がサッカーを始めた年齢や理由は?

    松田元太さんがサッカーを始めた年齢は、幼稚園の年長(5〜6歳)の頃だったそうです。

    小学校6年生までサッカーを続けていたので、約6〜7年間サッカーを続けていたことになります。

    好きだからこそ、そのくらい続けられていたんだね!

    松田元太さんはサッカー好きの父親の影響でサッカーを始めています

    両親はサッカー部の選手とマネージャーの関係で結婚に至ったみたいだよ!

    そのため、松田元太さん自身も「サッカーをやる運命だった」と話すくらい、サッカーには縁があるということになります。

    松田元太がサッカーの夢を諦めた理由は?

    松田元太さんがサッカーの夢を諦めた理由は、ジャニーズ事務所に入り、自分もステージに立ちたいと思ったからだそうです。

    松田元太さんはサッカーのプロを目指すくらいの実力者でしたが、Hey!Say!JUMPのライブを見たことがきっかけで、山田涼介さんに憧れ、アイドルの夢に切り替えました。

    そのため、松田元太さんは小学校6年生の時に自分でジャニーズ事務所へ履歴書を送っています。

    履歴書が通過し、いざオーディションとなったタイミングで、サッカーの決勝戦と重なってしまったそうです。

    松田元太さんは悩みに悩んだ上で、ジャニーズ事務所のオーディションに参加することに決め、アイドルへの道を進み始めています。

    サッカーとアイドル業の並行も考えたそうですが、「アイドルを極めるためにサッカーを辞めた」と話していて、真剣にアイドル業に向かおうとする松田元太さんの姿が見えてきます。

    まとめ

    松田元太さんはサッカーの実力が高い少年でしたが、サッカーユースにはなっていなかったそうです。

    所属チームは発表されていないものの、松田元太さんの大事にしている言葉から推測すると「松伏FCスポーツ少年団」であることが予想できました!

    ポジションはMFで、運動神経やサッカーセンスも十分にあったため、小学校4年生の頃からチームのキャプテンを任されるほどの実力の持ち主だったそうです。

    また、埼玉県のU-12選抜にも選ばれていて、小学生の頃の夢は「サッカー選手になること」でした。

    ただ、Hey!Say!JUMPのライブに行き山田涼介さんに憧れたことで、サッカー選手からアイドルへ夢を切り替えています。

    かなり真剣に取り組んでいたサッカーを辞めてまでアイドル業をしているため、松田元太さんは本気でアイドルを頑張りたいと思ったのでしょうね。

    最後までお読みいただきありがとうございました。

    よかったらシェアしてね!
    • URLをコピーしました!
    • URLをコピーしました!
    目次